デフアート作品 (一部)




「波紋を描いて」

人類が住む地球の中にあり続けるろう者と聴者だからこそ、お互いに
伝え合う素晴らしさを可能にするのが手話です。

「一滴、一滴が海になる。(イタリアのことわざ)」

それは夢でもなく、理想的でもなく、現実的に人類すべてが手話で
日常的会話のできる共存社会の実現を目指していることは大海の
たった一滴の水にすぎないかもしれないが、その一滴の水が集まって
大海となれることを私は信じたいです。




「努力と協力」

「ろう者は聞くこと以外は何でもできる。
 (ギャローデッド大学の元学長 キング・ジョーダン)」

当然ろう者なりに自分で出来ることは自分でするのです。
ただ、現実的には、どうにもならないことがあります。
それは「耳で聞く」ことです。
その出来ないことは自分で断念するのではなく、
聴者に協力してもらうことが大切です。

「助けてくださいと言えたときは、人は自立している。
             (経済学者東大教授 安富歩)」

努力は「足し算」だけど、協力は「かけ算」です。
自分1人の努力だけでなく、多くの人の理解が重なり膨らむことで
自分の力が何倍も変えられるからです。

※ろう児の立ちポーズが「足し算」で、2つの腕 (手を差し伸べる)を
 クロスしたのが「かけ算」をイメージしたものです。


「一歩」

「さあ進むのだ。君が出逢う困難は前進すればおのずと解決する
 だろう。進め。そうすれば夜は開け、きみの行く手に光は
 ますます明るく輝くだろう。
  (フランスの数学者 ジャン・ル・リン・グランベールシラー)」

この先に手話の世界があるからこそ、昨日より一歩、そして
目の前の一歩を踏み出せるのです。

「好奇心の芽」

「大切なことは質問をやめないことだ。
 好奇心こそ、我々の存在を示すものなのだ。
 (ドイツの理論物理学者 アインシュタイン)」

ろう字たちの「はい はい はい」は手話教育ならではの
「分かる喜び」です。

「新しい景色」

「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の 上に乗っていたからです。
     (イギリスの物理学者 アイザック・ニュートン)」

こうして世界のろう歴史を大きく塗り替えた彼らが、このパリから
多く輩出されたことはド・レペ神父の愛情による手話教育、そしてその情熱の大きさを示していました。

「2人の理解者」

それは海の世界でも同じようなことが言えます。
波立って流れている海上の流れは聴文化 (音のある世界)そのもの。そして物静かに流れている深海の流れは。ろう文化 (音のない世界)そのものです。

「互いに自由を妨げない範囲において、我が自由を拡張すること。これが自由の法則である。
           (ドイツの哲学者 イヌマエル・カント)」

同じ海でも深海と海上の流れと同化すれば、海が海でなくなって
しまうように、ひとつ (聴文化) の固定観念ではなく、相反する
ふたつ (ろう文化と聴文化) の固定観念が必要になってきます。

「いちばん反対のものどうしがいちばんの智となる。
         (古代ギリシアの哲学者 プラトン)」

お互いがお互いを尊重し支える共生社会、そして誇り合える共栄の道を歩むためには、自ら「よりよい理解者」としてあり続けることにあります。

「心の救い」
無理解の社会の中で知らず知らずのうちに、もう1人の自分を
束縛する心の闇を育んでしまった僕だった。
そんな心の闇を抱きしめてあげられるのは、他の誰でもない
「手話で話す自分」です。
そうした存在がもう1人の自分を束縛から解き放たれ、心の闇を
光で満たしてくれます。

「未知を越えて」

日本の「X」は否定という意味ですが、外国では「X(エックス)」は
未知の物事という意味にもとらえます。
聴者にとって「音のない世界」は未知の領域ですが、一歩前に踏み
入れる先には「幸せな世界」が広がっています。
要するに、ろう者の存在に対して否定(ひてい)的な反応を示すのではなく、
理解を示すようになります。
そして、ろう者自身が耳がきこえないことで自己否定するのではなく、
一歩前に踏み出すことによって手話があることで肯定(こうてい)的に
とらえる (ありのままの自分を認める) ことが大切になってきます。

※花から花へ (音のない、ある世界へと) 自由に舞う蝶、その優美な姿を
 イメージしました。


「世の光」

京都帝国大学 (現 京都大学) の宗教哲学を専攻し、当時、知的
しょうがい者に対して閉鎖的だった日本文化を切り開き、第一人者として知られていた「しょうがい福祉の父」 糸賀一雄(1914-1968)
です。

「『この子らに世の光を』あててやろうという哀れみの政策を
 求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものである から、いよいよ磨きをかけて輝かそうというのである。
 『この子らを世の光に』である。」

糸賀氏は「人間の本当の平等と自由は、この光を光としてお互いに
認め合うところにはじめて成り立つ」と、この子らの光は社会に
とって必要不可欠であると考えました。

「天から役目なしに降ろされたものに世界に一つもない。
                   (アイヌの格言)」

ろう児たちも「世の光に」なるために生まれてきたのです。

「手話の絆」

「ニュージーランドから南極に向かって800㎞くらい何下した
 ところにあるチャタム島で初めて聴覚しょうがいを持った
 女の子が生まれ、島民は『この島にいる限り、彼女は全員と
 コミュニケーションを取れるように』と決め、島民700人全員で
 手話を覚えたと話した。
 (世界ナゼそこに日本人~知られざる波瀾万丈伝~
              2014年11月3日放送 テレビ東京)」

そこには青い海の水平線から上がったばかりの太陽のように
まぶしくて、あたたかい世界が生まれました。700人という
多数者が 1人の少数者を包摂(ほうせつ)する新しい文化を育んで
いました。それはろう児自身がろう児であることを許される世界、
そして聴児・者たちと分け隔てなく、手話で話し合える世界であるとした共存社会の先には、ろう児・者にとっても、聴児・者にとっても輝かしい未来と調和の世界が待っているはずです。




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